イベント
- オープンリサーチプログラム01[レクチャー]
- リピット水田堯
- 2013.06.21
- 金曜日
- 18:00–19:30
- 場所:京都府京都文化博物館 別館ホール
「猫と犬のように──映画とカタストロフ」
- 【入場料】
- 無料(申込不要)
オープンリサーチプログラムとは:
アーティスティックディレクターとキュレトリアルチームが、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015に向けて行う調査研究のプロセスを広く一般に公開し共有するためのプログラムです。
- オープンリサーチプログラム01[レクチャー]
- リピット水田堯
- 2013.06.21
- 金曜日
- 18:00–19:30
- 場所:京都府京都文化博物館 別館ホール
猫と犬のように——映画とカタストロフ
映画はどのように歴史を描くか。表現を避ける歴史をどのように映像として掴むか。現実と表現は猫と犬のように混ぜてはいけないものではないのか。三本の映画において、三つのカタストロフ——アメリカの南北戦争、ナチズムの誕生、そして広島市への原子爆弾投下——が描かれる。『国民の創生』(1915)、『意志の勝利』(1935)、『ヒロシマ・モナムール』(1959)の重要な場面で猫が映る。この動物は歴史的表現とカタストロフの関係を表す一種のメタファーかも知れない。しかしなぜ猫なのか? この講演は映画、カタストロフと猫の関係を考える。【文・リピット水田堯】
オープンリサーチプログラムの第一回目として、気鋭の映画研究者として世界的に注目されている南カリフォルニア大学のリピット水田堯先生のレクチャーを開催しました。D.W.グリフィス監督の『国民の創生』、レニ・リーフェンシュタール監督の『意志の勝利』、アラン・レネ監督の『ヒロシマ・モナムール』(邦題『二十四時間の情事』)を題材に、比較文学や映画史、表象文化論や言語学にも関わる内容を、深い内容を維持しながら分かりやすい言葉で話してくださいました。
『国民の創生』ではアメリカの南北戦争や人種差別の問題、『意志の勝利』ではナチズム、『ヒロシマ・モナムール』では広島の原子爆弾投下という歴史的大惨事(catastrophe[カタストロフ])が中心となっていますが、それぞれの映画の中では一見すると文脈から外れ、語の誤用(catachresis[カタクレシス])のようなかたちで猫が登場する場面があります。この猫は何を象徴しているのか、その場面では猫を通じて何が表されているのかについて多角的に読み解いてくださいました。さらには、文章では不可能でも映像や映画でなら可能な表現、カタストロフという言葉自体と猫との関係などについても話されました。
作品のふとした細部への注目から始まる分析と考察。それは編集の狭間に織り込まれた作品意図を読み解く、刺激に満ちた知の道程でした。本レクチャーの講演録は、リピット水田氏による書き下ろしの英語原稿と併せて『Parasophia Chronicle』第1巻第1号に収録しました。PDF版とEPUB版を刊行物のページにて公開中。
(写真:光川貴浩)
オープンリサーチプログラム01[レクチャー]リピット水田堯「猫と犬のように――映画とカタストロフ」
日時:2013年6月21日(金)18:00–19:30
会場:京都府京都文化博物館 別館ホール
主催:京都国際現代芸術祭組織委員会、一般社団法人京都経済同友会、京都府、京都市
共催:京都府京都文化博物館
後援:国際交流基金
オープンリサーチプログラムとは
アーティスティックディレクターとキュレトリアルチームが、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015に向けて行う調査研究のプロセスを広く一般に公開し共有するためのプログラムです。
リピット水田堯●1964年生まれ、アメリカ出身。南カリフォルニア大学映画学科学科長、比較文学学科教授、東アジア言語・文化学科教授。城西国際大学メディア学部客員教授。専門は映画史、映画論、実験映画、比較文学など。主な著書に、『電気的動物――野生のレトリックへ』[未訳](Electric Animal: Toward a Rhetoric of Wildlife, University of Minnesota Press, 2000)、『エクス−シネマ――実験的な映画とヴィデオの理論から』[未訳](Ex-Cinema: From a Theory of Experimental Film and Video, University of California Press, 2012)がある。初の日本語訳著書『原子の光(影の光学)』「芸術論叢書」(門林岳史+明知隼二訳)が2013年5月31日に月曜社より発行。